弘前ねぷた絵   川村岩山

 弘前ねぷた絵師の第一人者として重要無形民俗文化財指定にも尽力した故長谷川達温師に、小学5年生で弟子入した「川村岩山」が、長谷川流ねぷた絵技術等の伝承を主な目的として構成したサイトです。

プロフィール
川村岩山(かわむら がんざん、本名 伸明)。1955年生まれ、青森県立弘前高校・日本大学法学部法律学科卒。
1966年 故長谷川達温師門下となり、ねぷた絵をてがける。
現在、様々な観点から、ねぷた絵の歴史や様式、素材についてブログにまとめている。

1970(昭和45)年のねぷたの2回目です。 最初は、長谷川達温先生で駅前町会の「関羽奮戦図」です。 画面右の女性は、「祝融夫人」の見送り絵の上半身を切り取って張り付けています。 ...

今回から1970(昭和45)年のねぷたの振り返りと紹介です。 年明け早々、ねぷた界に大きな衝撃が走りました。この年2月に竹森節堂先生が亡くなったのです。 ねぷた少年の間でも「節堂(先生)のねぷたが見られなくなった。」と大きな動揺が広がりました(私も少年だったの ...

1969(昭和44)年のねぷたの最終話です。最初は、竹森節堂先生の最後の弘前大学のねぷた「一丈青奮戦の図(題名は当時の新聞発表のもの)」です。 竹森先生と弘前大学の間で、描いたねぷたを永 ...

1台目は、長谷川達温先生の「鬼シリーズ(私が勝手につけた名称です)」から、「渡辺綱 羅生門の鬼退治の図」です。 渡辺綱と鬼については、2021年7月307話に載せているので参照ください。 見送り絵は、先生得意の見返り「虎」と三七全伝何柯夢の「笠屋三勝」です ...

今回から1969(昭和44)年のねぷたの紹介です。 この頃の私は、毎週土曜日曜休みなく正伝寺を訪れ、ひたすらねぷた絵を習っていました(とても真面目に取り組み、私のねぷた絵の基礎醸成期間でした)。 ...

このブログを書き始めてから、今回で400話となりました。 私にとって記念すべき400回目は、「1968(昭和43)年のねぷた」の最終回です。   最初は、石澤龍峡先生の水滸伝「花和尚力闘の図です。 ...

1968(昭和43)年のねぷたの3回目です。 今回は8枚の写真で当時を振り返ります。   最初は大久保青年会で、三国志「関羽奮戦の図」です。 絵師はわかりません。 1966(昭和41) ...

1968(昭和43)年のねぷたの2回目です。 この年は、大型・小型共26台づつの計52台が運行されました。 また、私がねぷたにデビューした年で、城北子供会という町内会のねぷたを描かせてもらいました(張飛の絵でしたが、写真がありません)。   7枚続けて竹森節 ...

今回からは1年毎にねぷた絵を振り返ります。 さて、この頃になると「金魚ねぷた制作」や「トーロー絵の描き方」、「おはやし」などのねぷた関連の講習会が盛んに行われるようになりました。 今では普通になった「トーロー絵の描き方」の講習会は、1966(昭和41)年から ...

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