三国志といえば、その時代時代で様々な作家が書いています。
「五重塔」や「蒲生氏郷」が代表作で、最初の文化勲章受章者である作家「幸田露伴(こうだろはん)」も明治44年に通俗三国志の校訂本を書いています(売れたそうです)。
明治も終わるころの出版だったので、出遅れだなどと勝手なことを言われたようですが、おさえるところはおさえています。
さらに大東亜戦争後には、吉川英治が三国志演義をもとに「三国志」を書いて大ヒットを飛ばしました。
これは現在でも「吉川三国志」といわれ、三国志研究家の間でも一目も二目も置かれた存在となっています。
さらに最近では、スマホやPS(任天堂プレイステーション)向けのRPG(ロールプレーイングゲーム)で再び脚光を浴び、あれこれそれと様々なバリエーションで数多く作られ、日本史上何回目かの三国志ブームが続いています。
これは、ねぷたをやっている私から見ると、登場人物が昔の「ベルサイユの薔薇」を彷彿させるような美男美女で描かれているので、イマイチぴんときません。ついていけなくなってます。
ところで、ねぷたのバイブルの絵本通俗三国志には多くの挿絵などが掲載されていますが、この絵本通俗三国志から挿絵だけを抽出した「絵本三国志」という本が、弘前市博物館から昭和62年(1987年)に出版(A4版)されています。
ねぷた絵の参考資料という目論見であったのではないかと思います。
少しだけ意見を書くと、弘前博物館発行らしくなく、ある意味混乱させる怪しげなものです。
絵本通俗三国志が底本(そこぼん:翻訳・校訂などをする際によりどころとする本のこと)なのですが、あまり考えることなく、通俗の二文字を安易にはずした?ので、発刊当時は良かったでしょうが世も代り、令和になると、題名だけをみると新しい本の出現(復刻版)かと思ってしまいます。
研究する人が多い分野なので、「抜粋」とか「通俗」の文字を入れた題名をつけて、中の構成を今少し考えて欲しかったと思います。
参考資料とするのにはいいのですが、元となった本の状態が悪いことと、わずかに縮小されていることと紙の品質もあまり良くないもあって印刷も荒く見え、発刊目的を含め、個人的にはわかりずらいものになっていると感じています。
好き勝手に書いていますが、他意はありません、私の研究分野のことなのでしっかり意見を述べてみました。
ちなみに、今回の話題とは関係ありませんが、今私が取組んでいる津軽デジタル風土記に底本としている江戸期の読本の多くが弘前市博物館に所蔵されています。
この話題も後日にしますが、この分野の蔵書は全国的に見ても三本指に入るほどでないかと思われるほど、かなり揃っています。
下げた次は上げています。
このブログ216話に書いた、「絵本通俗三国志」50巻の巻頭には話の進行上不可欠な人物の全身像が描かれています。
これを随時紹介しますが、最初に当時の「名前に関する決まり事」を確認しておきます。
「劉備字玄徳」を例にすると、読み方は「りゅうびあざなはげんとく」で、「劉」が姓、「備」が諱(いなみ:名)、「字(あざな)」が玄徳となります。
当時の中国の名前は、「姓+諱(いなみ:名)+字(あざな)」で構成されています。
「字」がある理由は、昔の中国では他人が人の「名」を口にすることは失礼なこととされていたからで、代わりに「字」を使うのが一般的でした。
ただし「字」で呼ぶのも親しい間柄に限られ、役職を持つ人はその役職で呼ぶのが礼にかなった呼び方とされていました(孔明の場合でいうと、諸葛丞相)。
逆に自分自身では、謙虚な態度として「名」を名のり、「字」を使うことはありませんでした。
一部で「字」を省略して「劉備玄徳」や「諸葛亮孔明」とすることがありますが、これは間違いです。
前置きが長くなりましたが、次回からいよいよ本題に入ります。 つづく
コメント