今回から予告していた絵本通俗三国志巻頭の人物紹介です。


ねぷたの世界で活躍している英雄豪傑を中心に、その人物の簡単な紹介を通俗三国志に付随している「通俗三国志姓氏」を参考にします。

特に、ねぷた絵によく出演している人物ははずさないようにします。


 

最初は巻1~巻4です。4名描かれています。

 

○劉備字玄徳(りゅうびあざなはげんとく)

 蜀帝。漢の影帝の玄孫です。長男の劉禅の他に2人の息子がいました。


○関羽字雲長(かんうあざなはうんちょう)

 寿亭侯、前将軍。劉備軍五虎将軍の一人。

 以前も書いたことがありますが、この関羽だけは日本を含め東南アジア各国で「商売の神様」になっています。


○張飛字翼徳(ちょうひあざなはよくとく)

 車騎将軍。劉備軍五虎将軍の一人。


とても粗暴であったと残っている他、部下の懲罰に死刑を多用して、最後はそれがあだとなって、部下に逆恨みされ暗殺されました。

勇猛な張飛ですが、娘二人は美人さんだったようで、張飛の長女は、「敬哀(けいあい)皇后」と呼ばれた劉禅の正室でした。

長女が早く亡くなったので、張飛の次女も劉禅の継室(後妻)となりました。


○曹操字孟徳(そうそうあざなはもうとく)

 武帝(魏の武帝)。

 魏呉蜀三国の中で魏が主導権をとり、何故呉や蜀より強大になったか冷静に考えれば、やはり曹操のリーダとしての魅力があったからではないかと思います。

 
 子供(男子)も25人もいて、呉の孫権、蜀の劉備と比べても桁違いで、子供の数からみても魏が一歩抜け出して         います。

 三国志演義では、劉備の仇役で、悪役に仕立てられていますが、生い立ちや経歴を調べれば調べるほど大し  た人物であったことがわかります。

 曹操の肩書は、研究されているだけでも武将の他に、兵法家、政治家、文人、詩人とマルチぶりで、草書・音楽・囲碁の達人だったようです。


 驚くことに、2009年に曹操(220年没)の陵墓が発見され、昨年(2018年)12月に曹操のものと確定され、本人の遺骨も発掘されています。

 ちなみに、現在の中国には曹操の末裔が多数存在しており、曹操から数えて70代目の直系の方が生存(DNA鑑定で明らかになった)しています。

 また、曹操の頭痛やめまい等が、躍龍潭「梨の木の精霊」のたたりと物語風に変えて、三国志演義に書かれています(長谷川先生が得意な絵で、ねぷた絵として何度か登場しています)が、それは本当だったようです。


 遺骨から、曹操の死因は悪性脳腫瘍で、現在でも治癒不能であったようです。法医学の世界です。

 

 

○陳留帝(ちんりゅうてい)

曹操の孫(父は曹操の側室の子)で、後漢最後の皇帝の献帝のことです。

  曹操は、自分の三女を献帝の皇后にしています。

 董卓(とうたく)によって陳留王から帝に擁立され、曹操亡き後、曹操正室の子の曹丕(そうひ:叔父)の圧力で     帝位を譲り後漢は滅亡(220年)しました。

この時の譲位の形式を「禅譲」といい、後世の王朝交代時の手本となった他、現在でも政治の世界でよくわれる用語となりました。

ただ、王朝の存在そのものを消すようなことはされず、山陽公として234年に亡くなっています。



梨の木の精霊

躍龍潭「梨の木の精霊」