伝説等の絵を描いている人がいますが、誰でもどこから題材を探すのだろうかと考えたことがあると思います。
私も青森ねぶたの題材には、毎年関心させられていました。

以前も軽く書いていますが、題材を探す人のために「東洋画題綜覧」や「画題辞典」という種本があります。

明日から2019年の「弘前ねぷた祭り」が始まるので、今回は少し趣を変えて、「羅浮仙伝説(らふせんでんせつ)」について書いてみます。

 

「羅浮仙(らふせん:羅浮山の仙人)」」の見送り絵は私が最も好きな絵の一つで、長谷川達温先生や先生の息子さんの故壽一和尚も好んで描いています。

残念なことに最近のインターネット上でも羅浮仙の当て字「浮」が「夫」に間違って広まっているので、なかなか調べることができないでいる人も多いと思います。

どの時点で間違ったのか特定できませんが、私の中では「ねぷた絵の七不思議」の一つだと思っています。

そのうち七不思議を書いてみます。

 

「東洋画題綜覧」は、金井紫雲(本名泰三郎)という人が昭和16年~18年、大東亜戦争の真っただ中に書いたものです。

金井氏は、都新聞社(東京新聞の前身)の美術記者(学芸部長)として活躍しました。

彼の守備範囲(趣味)はきわめて広く、美術、盆栽、花、鳥等の分野に卓越しており、「盆栽の研究」、「花と鳥」、「花鳥研究」、「鳥と芸術」、「東洋画題綜覧」、「芸術資料」等多くの著書を残しました。

羅浮仙のことは、唐時代の柳宗元(りゅうそうげん:773819)が著した「龍城録」に書かれており、金井氏は、「羅浮仙」のことを次のように記しています(注釈は私)。

 

隋の開皇年中(581-600年)、趙師雄(ちょうしゆうという人物)、羅浮山に遊ぶ、一日天甚だ寒く、肌も裂かれるやうなのに、師雄たまりかねて、何時も行く林間の一旗亭(酒場)に入らんとした、
日は既に暮れて薄衣のやうな夕の靄はほんのりと四囲を罩(こ:周囲を包み込んだ)めた、師雄不図(思いがけなく)あたりを見ると、窈窕
(ようちょう:美しくしとやかなさま)たる一佳人が立つてゐる、

薄化粧も美しく、身に軽い羅(ら:うすもの、目の粗い絹織物の一種)をまとひ、懇ろに師雄を招く、言葉づかひもしとやかに芳ばしい香があたりに漂ふ、師雄は導かるゝまゝに旗亭に入り、互に酒を酌み交し四方山の話を交へてゐると、

緑衣の一童子が現はれ歌ひ且つ舞ふ、師雄は盃を重ねる中に、強か酩酊し、そのまゝ酔伏してしまつた、

やがて東方漸く白み来り暁風冷かに身に迫るに目覚めてあたりを見れば、美人の姿はなく身は林中の梅樹のもとにあり、花は微白を呈して有明の月影に浮動するのであつた、美人は此の梅の精であつたのである。

 

一方、「画題辞典」は、斉藤隆三氏(明治期より昭和期にかけて風俗史、郷土史、美術史等の執筆を行っていた文学博士)が著したもので、金井氏に比べると幾分簡潔に記されています。

せっかくなので、画題辞典の羅浮仙です。

隋の開皇年中、趙師雄、羅浮山に遊び暮らし、将に林間の酒肆に入らんとし傍に窈窕たる一美人に會ふ。

美人言清麗、芳香人を襲ふ.即ち相共に酒肆に入りて談笑して飲む。

一緑衣の童子あり、歌舞す。

師雄興に入りて酒臥すること久し、已にして東方白きに至り起きて見れば、身は大梅樹の下にあり。

即ち美人は梅の精たるを知る、爾来梅下美人を画きて羅浮仙となす。

 


ここまで書いてもらえれば、絵心がある人には有難いもの(辞典)だと思います。

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壽一和尚の羅浮仙 昭和54年黒石市乙徳兵衛町

 

次回はまた元に戻って、絵本通俗三国志からねぷた絵に登場する主要人物の話しです。