今朝(9月29日)の陸奥新報に、弘前大学の瀧本教授手配の「ねぷた見送り絵リーブート展」の記事が載っていました。

その中で「笠屋三勝」が記事の補完写真として掲載されていました。


 

前221話で書いた『頼豪(らいごう)阿闍梨(あじゃり)恠鼠伝(かいそでん)  葎戸(むぐらど) 』同様に紹介します。


今回のキャプション(説明)も国文学研究資料館の木越准教授が作成した展示で使用するものから転記させて頂きました。

 

笠屋三勝も曲亭(滝沢)馬琴作の『三七(さんしち)全伝南柯夢(ぜんでんなんかのゆめ)』の登場人物で、文化5年(1808年)の刊行で、挿絵は頼豪阿闍梨恠鼠伝と共に葛飾北斎です。


笠屋三勝

京都の舞々で名高い、作中のヒロイン。楠の家臣の家に生まれた赤根半七とともに数奇な運命をたどる。

浄瑠璃『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』などで有名な三勝半七の情話が、勧善懲悪の伝奇世界に移しかえられている。

三七全伝何柯夢 笠屋三勝

三七全伝南柯夢  笠屋三勝(8号鳥の子紙色紙)

 

ところで、長谷川先生は昭和30年代後半にこの笠屋三勝を一度ねぷた見送り絵に採用しています。


私も三勝の話を2017年12月3日のこのブログ101話で詳しく述べています。

勿論、当時「元絵」のことはわからなかったので載せていません。

 


101話からです。


物語の内容は他に譲り、ねぷたの見送り絵「笠屋三勝」の話しです。


 この絵の冠と左右の手の処理が渡された研究問題の解答でした。前話に登場した三国志の「楽女」の同じ部分を引用しています。右手に持たせた日本の扇子は楽女では扇です。そして冠を少し簡単にした絵となります。

 
 先生が何を話したか詳細は忘れてしまいましたが、こんなことでなかったかと思います。


 三勝は三国志の舞子である「楽女」をベースに日本の女芸人を描き上げたものです。

女芸人三勝のかぶりものは、冠にしています。・・・略




 と書きましたが、楽女が登場する「絵本通俗三国志」は、天保7年(1836年)から同12年(1841年 )刊行されているので、葛飾北斎が描いた三勝をベースに弟子の戴斗(たいと)が楽女を描き上げたとするのが正解のようです。

さらに、長谷川先生が、三勝をベースに楽女をねぷた見送り絵の中で最高の女に仕上げたといえます。
その後は三勝が見送り絵になることはなく、楽女が幅をきかせるようになりました。


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長谷川達温先生のねぷた見送り絵  三国志「楽女」(絵の周りに何かのシミのように映っているのは雨です)