長谷川達温先生遺作展の話を続けています。今回は、玉巵(ぎょくし)の話です。
玉巵とは本来、玉のように美しい盃をいうようですが、ねぷた絵の世界では有名な仙女「太真王夫人(だいしんおうふじん)」の幼名と言ったほうがわかり易いかと思います。
これは、本名は玉巵なのですが、成長して竜王の「太真王」の夫人になったため太真王夫人と呼ばれているからです。
ねぷたの世界では、よく太真夫人と省略して呼ぶ若い人が多いのですが、そもそもみんな道教の神様であり、神様の名前を省略して呼ぶのは間違いになります。
また、太真王夫人は、中国の道教の説話集で70人の仙人の伝記が記載されている「列仙伝」にその名があります。
太真王夫人を見送り絵にした場合は、夫が「龍」の元締めの神様であることや玉巵と呼ばれていた幼少の時から多くの龍と友達で、白龍に乗ってあちこち遊びに行っていた逸話(中国神話)から、長谷川流のねぷた絵の袖絵は龍とだいたい相場が決まっていました。
さて、王巵は中国神話最強仙女の「西王母(さいおうぼ)」の末娘です。
ねぷたに良く登場する九天玄女(きゅうてんげんにょ)は、この王巵の教育係として西王母のそばに使われている、西王母お気に入りの仙女です。
中国神話によれば、九天玄女は王巵を厳しくしつけため、白竜に乗って時々逃げ出したと書いています。
このことを金井紫雲は自身の「東洋画題綜覧」で、
「太真王夫人、王母少女、王巵也、毎弾一絃琴、即百禽飛集、時乗白竜周遊四海。」と表しています。
※一弦琴:いちげんきん(1本弦の琴)
訳:太真王夫人は、西王母の末娘の王巵である。彼女が一弦琴を弾くと多くの鳥が集まった。また時には白竜に乗り四海を周遊した。
この絵は、見送り絵に「太真王夫人」、袖絵に幼い頃の「玉巵」を配した達温師の傑作の一つで、このねぷたは当時流行したNTTの「テレホンカード」(鏡絵は黒旋風李逵奮戦の図の2枚1組)に採用されました。
見送り絵と袖絵の組合せが極めて自然で、何事も良く調べて取組んでいた先生らしさが窺われる作品となっています。
玉巵の元絵は、北斎晩年の弟子「葛飾為斎(いさい)」が描いた「玉巵弾琴図(ぎょくしだんきんず)」で、長野県信濃町の有形文化財に指定されている同町雲龍寺蔵の屏風絵(びょうぶえ)です。
遺作展では、現物が極めて少ない上のテレホンカードを勿論展示します。
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