水滸伝 花和尚魯智深

 

今回は、遺作展の話のラス前、水滸伝花和尚の話です。

「何だ、花和尚か」と思うかもわかりませんが、鏡絵でなく見送り絵です。

多分、花和尚の見送り絵といえば、元絵が「水滸伝絵本(北斎水滸伝)」の下の花和尚を想像する方(マニアックな方です)がおいでだとは思いますが、全く違うオリジナルのものです。

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布に彩色したもので、今回遺作展の目玉作品の一つです。

花和尚魯智深(ろちしん)は、水滸伝の登場人物で、梁山泊序列第13位の好漢です。

「花」は刺青のことを指し、全身に刺青があることからあだ名が花和尚(かおしょう)となりました。


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ねぷたで花和尚の刺青を描く時は、竹森節堂先生が桜、達温先生が牡丹と明確に分け、お互い暗黙で決めていたと窺
(うかが)われます。

私も刺青の描き方を教えて頂いたときに、「刺青の花は牡丹にするように」と念をおされていましたが、本来は「海棠(かいどう)の花」の説が有力です。

達温先生はこの刺青をはじめとして、髪飾り、着物の模様に牡丹の花を多用しました。

それは、「ねぷたであること、津軽家の花であること、花にボリュームがあることが選定した理由」でした(達温先生談)

花和尚魯智深の最後は、水滸伝の中で唯一穏やかな死の設定で、杭州六和寺で自身の死期を悟り、一室に籠って悟りを開き入寂したことになっています。

花和尚は、水滸伝の中で、九紋龍史進・一丈青扈三娘などと共に最も多くねぷたの主役としてよく登場しますが、花和尚の立ち姿(全身像)を描いたのは極めて珍しく、見送り絵か何かの大型灯籠用に複数枚制作したものと思われます。

なお、同じ大きさで「張飛」の半身像があるので、同時展示の予定です。

これらは、和紙ではなく一時期流行した布に描かれているのも大きな特徴です。


ねぷた本体の照明は、蝋燭→白熱灯→蛍光灯→第二世代白熱灯→
LEDと変遷しましたが、蛍光灯が一世を風靡した時のパートナーは布でした。

布は描いている時のシワや電気が透けて見えないようにする等気を付けなければならないことが沢山あるなかなかの曲者で、奉書に代わる紙製品の登場が待たれていました。

先生は、大型化したねぷたに対応するため(奉書は継ぎはぎ部分が多く破けやすい)、三菱製紙(確か八戸支店でした)と提携して、破けにくいねぷた紙(ロンテックス)を実用迄3年ほどかけ開発に成功させました。

製紙会社からのコンタクトで開発が進みましたが、最初のロンテックスは、プラスティックのような繊維が多数入り、破れない代わりに色のりが極めて悪いものでした。

現在は厚さなどもチョイスでき、奉書に比べてもそん色ない、ある意味奉書以上のものが市販されています。

継ぎはぎ部分が少ない(裏からロー止めをしなくてもよい等)ぶん、制作工程が少ないので今の絵師は恵まれていると思います。 
  

次回(明後日)は、長谷川達温先生33回忌遺作展の紹介のまとめです。