今回は、魏の典韋(てんい)と、魏の驃騎(ひょうき)将軍 曹洪(そうこう)、車騎(しゃき)将軍 郭淮(かくわい)です。
典韋は、許褚同様に体格が良く怪力だったようです。
曹操の対「呂布」戦で、戦闘のたびに先鋒として敵陣を陥れた功績により武猛校尉となりました。
また、
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弘前ねぷた絵281 ねぷた絵にみる「魏」の武将たち1 曹操、許褚
今回は、魏の代表的な武将である曹操と許褚(きょちょ)です。
次話で紹介する典韋(てんい)と許褚は、大ボス「曹操」の最側近といわれています。
さて、曹操は言わずと知れた魏を興した三国時代最大のヒーローなのですが、作者の「羅漢中(らかんちゅう)」に嫌われ三国志演義(
弘前ねぷた絵280 南蛮王孟獲妻 祝融夫人と王平、魏延、馬岱3
前話からの続きです。
鏡絵の下絵を掲載していますが、修行時代はこれから主役・わき役を抜粋して灯籠絵や色紙等に展開しました。
蜀 鎮北大将軍(格上の鎮北将軍) 王平
西暦228年、王平(おうへい)は孔明の北伐に同行し、「街亭の戦い」で馬謖(ばしょく)が戦の
弘前ねぷた絵279 南蛮王孟獲妻 祝融夫人と王平、魏延、馬岱2
祝融夫人の続きです。
祝融夫人は、中国神話の火の神の末裔とされ、ねぷたでは女性の主役が少ないので、水滸伝の一丈青扈三娘(いちじょうせいこさんじょう)と共に重宝されるキャラクターです。
「三国志演義」では、夫の孟獲が諸葛孔明との戦いに何度も負け、不甲斐なさを
弘前ねぷた絵278 南蛮王孟獲妻 祝融夫人と王平、魏延、馬岱1
最近、今迄の日本の歴史認識を大きく変えざるを得ないような新しい発見が相次いでいます。
歴史の常識だと思っていたことや、教科書に載っていることが、新しい資料等で全く違ったものだったと解明されているものが多々あります。
先般終了したNHK大河ドラマ「麒麟がく
弘前ねぷた絵277 馬超と潼関の戦い2
前話からの続きです。
ねぷた絵が準拠?している通俗三国志、すなわち三国志演義では、馬超の挙兵と馬一族の殺害の順序が正史と逆になっています。
演義の内容です。
馬超の父馬騰(ばとう)が曹操の暗殺計画に加担した為、妻子を含め馬(ば)一族のほとんどを曹操に謀殺され
弘前ねぷた絵276 馬超と潼関の戦い1
今回から馬超と潼関の戦いについて述べてみたいと思います。
馬超の父「馬騰(ばとう)」は、中国四川省西北部の羌(きょう)族との混血でした。羌族は現在も中国の少数民族チャン族(アバ・チベット族チャン族自治州)として実在します。
この血を引いている馬超は、漢王朝の支
弘前ねぷた絵275 蜀将 関中都督 傅僉3
274話の続きです。
273話から続くテーマは、蜀の勇将「関中都督 傅僉(かんちゅうととく ふせん・傅が姓、僉が名)」でしたが脇道が続きました。
関中とは、戦略上価値が高い「西安」を中心とする一帯をいいます。
都督(禄高は万石以上)とは、簡単にいうと当時の軍
弘前ねぷた絵274 蜀将 関中都督 傅僉2
273の続きです。話はもう少し脇道が続きます。さて「目付」は、定員10名、役高が1千石。若年寄の管轄下にあって、旗本、御家人の監視や諸役人の勤怠など政務全般を監察する役目でした。この目付には元々有能な者が選ばれていて、その後の転出先も堺・松前・浦賀・山田・奈
弘前ねぷた絵273 蜀将 関中都督 傅僉1
久々にねぷた絵の話です。
これから当分ねぷた絵のバイブルである三国志や日本の人物に的を絞って話を進めます。
先ず三国志です。
三国志と一口で言っても中国の正史である陳寿が書いた「三国志」と、それを基に羅漢中がフィクションを織り交ぜて執筆した「三国志演義」