弘前ねぷた絵   川村岩山

 弘前ねぷた絵師の第一人者として重要無形民俗文化財指定にも尽力した故長谷川達温師に、小学5年生で弟子入した「川村岩山」が、達温師の思い出話と長谷川流ねぷた絵技術等の伝承を主な目的として構成したサイトです。

弘前ねぷた絵   川村岩山 イメージ画像
プロフィール
川村岩山(かわむら がんざん、本名 伸明)。1955年青森県弘前市出身、青森県立弘前高校・日本大学法学部法律学科卒。
1966年 故長谷川達温師門下となり、ねぷた絵をてがける。
現在、様々な観点から、ねぷた絵の歴史や様式、素材についてブログにまとめている。

更新情報

今回は、1988(昭和63)年と1989(平成元)年の小栗山ねぷた愛好会のねぷたです。 最初は、水滸伝「九紋龍史進勇戦の図」です。 水滸伝を画材としたねぷたでは、今更説明の必要がないほどポピュラーな絵です。
『弘前ねぷた絵373 ねぷた絵の研究41』の画像

今回は、1983(昭和58)年の城北町会と1987(昭和62)年の小栗山ねぷた愛好会のねぷたです。   1983(昭和58)年の城北町会のねぷたは、三国志演義から「祝融夫人勇戦の図」です。 以前も書きましたが、この絵の祝融夫人と剣を受けている王平との組合せは、
『弘前ねぷた絵372 ねぷた絵の研究40』の画像

今回は、1983(昭和58)年の下湯口ねぷた愛好会と1986(昭和61)年の小栗山ねぷた愛好会です。 題材は共に水滸伝「九紋龍史進 奮闘図」です。 下湯口のねぷたは、当時流行りの必要以上に墨の線を太く強調した絵です。
『弘前ねぷた絵371 ねぷた絵の研究39』の画像

今回からは、小栗山ねぷた愛好会のねぷたと他の団体を組み合わせてみていきます。   まず1985(昭和60)年の小栗山ねぷた愛好会のねぷたと1982(昭和57)年の愛成会のねぷたです。 小栗山ねぷた愛好会は、三国志演義の「関羽 五関の危難を脱す」です。
『弘前ねぷた絵370 ねぷた絵の研究38』の画像

壽一先生が描いた弘前医師会のねぷたの最終回で、2002(平成14)年とその翌年のねぷたです。 2002年は、大阪夏の陣から「木村長門守重成 勇戦の図」です。 実際の運行時は「若き槍の又左衛門奮戦図」と題名がつけられていました。 「槍の又左衛門」は、相当槍を
『弘前ねぷた絵369 ねぷた絵の研究37』の画像

今回は、2000(平成12)年とその翌年の弘前市医師会のねぷたです。   2000年は、「源頼光 酒呑童子、龍の化身を撃つ」です。 この絵に代表される「鬼退治」物は、2021年7月の307話で詳しく説明しています。 「鬼」は「人間の化身」であって、角が生えて
『弘前ねぷた絵368 ねぷた絵の研究36』の画像

「長谷川流ねぷた塾玄龍庵 塾生作品発表会」が7日まであったので、ブログを書く余裕がなく日曜日に予定していたブログをお休みしました。   今回は、1998(平成10)年とその翌年の弘前市医師会のねぷたです。 初めは、秦の始皇帝が秦王だった頃の暗殺未遂事件を
『弘前ねぷた絵367 ねぷた絵の研究35』の画像

今回は、1996(平成8)年とその翌年の弘前市医師会のねぷたです。   1996(平成8)年は、「日本武尊 川上梟帥を誅す図」です。 弘前医師会のねぷたは、数あるねぷたの中でもかなり大型
『弘前ねぷた絵366 ねぷた絵の研究34 』の画像

最初は私が運営している「長谷川流ねぷた塾玄龍庵」塾生作品発表会のことです。 「玄龍」とは、長谷川達温先生の雅号で、ねぷた塾を開設する時に塾名に使わせていただいたものです。 塾開設以来、多くの方から本当に先生の雅号なのか確認されていますが、弘前市駅前の「虹
『弘前ねぷた絵365 ねぷた絵の研究33』の画像

今回は、1992年とその翌年の弘前市医師会のねぷたです。   1992(平成4)年のねぷたは、水滸伝から「九紋龍」です。   この絵は、壽一先生のオリジナルでないかなと思っていま
『弘前ねぷた絵364 ねぷた絵の研究32』の画像

↑このページのトップヘ