弘前ねぷた絵   川村岩山

 弘前ねぷた絵師の第一人者として重要無形民俗文化財指定にも尽力した故長谷川達温師に、小学5年生で弟子入した「川村岩山」が、長谷川流ねぷた絵技術等の伝承を主な目的として構成したサイトです。

2021年03月

前話からの続きです。 今回は、劉備の夫人たちを整理しながら「孫夫人」をみようと思います。 側室以上の位の妻が13人もいた曹操と異なり、劉備の妻は4人だけなので簡単に整理します。 ○「糜夫人(び ふじん)」は、劉備最初の正妻です。 彼女は、劉備が駆け出しの頃か ...

前話迄「呉」の武将を見てきましたが、とても人数が少ないので女性の方も気にかかります。 三国志演義は、呉の女性も男性同様に登場人物がかなり少ないのが特徴です。 呉の女性としてはっきり描かれているのは、このブログ127話から129話にかけて掲載した、生首を抱 ...

前話に続く呉の武将は、甘寧(かんねい)です。 腰に鈴をつけていたので有名な甘寧は、呉きっての猛将で、魏の張遼や蜀の関羽と並び称されています。 南宋の時代には、神格化(昭毅武恵遺愛霊顕王)され廟(びょう)が建てられました。 甘寧は、関羽同様に信仰の対象として祀ら ...

さて今回は、ねぷたの世界の「呉」の関係者では孫策より人気が高い「太史慈(だいしじ)」です。 太史慈は、揚州の軍閥「劉繇(りゅうよう)」の下にいた時の偵察任務中、偶然に孫策と遭遇し一騎打ちになりましたが、引き分けたことで相手の孫策に高く評価され、その後「劉繇」 ...

「ねぷた絵の題材は三国志・水滸伝などの勇壮な武者絵」といわれています。 ねぷたの世界では「魏」と「呉」、特に「呉」の武将の絵が少ないのが一つの特徴です。 この理由として挙げられるのは、三国志演義の主題が弱者の「蜀」側にたち、判官びいき的な感覚で「蜀」対「 ...

今回は、魏の典韋(てんい)と、魏の驃騎(ひょうき)将軍 曹洪(そうこう)、車騎(しゃき)将軍 郭淮(かくわい)です。 典韋は、許褚同様に体格が良く怪力だったようです。 曹操の対「呂布」戦で、戦闘のたびに先鋒として敵陣を陥れた功績により武猛校尉となりました。 また、 ...

今回は、魏の代表的な武将である曹操と許褚(きょちょ)です。 次話で紹介する典韋(てんい)と許褚は、大ボス「曹操」の最側近といわれています。 さて、曹操は言わずと知れた魏を興した三国時代最大のヒーローなのですが、作者の「羅漢中(らかんちゅう)」に嫌われ三国志演義( ...

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