前話からの続きです。

鏡絵の下絵を掲載していますが、修行時代はこれから主役・わき役を抜粋して灯籠絵や色紙等に展開しました。

 

王平

蜀 鎮北大将軍(格上の鎮北将軍) 王平

 

西暦228年、王平(おうへい)は孔明の北伐に同行し、「街亭の戦い」で馬謖(ばしょく)が戦のセオリーに反し、山の上に布陣しようとするのを何度も諌めましたが、馬謖は王平の諌言を聞き入れず、魏軍に大敗して孔明の1回目の北伐は失敗しました。

この時、蜀軍は殿(しんがり)の王平のおかげで全滅を免れ、後に高い評価を受けました。

反対に、孔明お気に入りの馬謖でしたが、軍法通り孔明が涙して死罪を命じ、「泣いて馬謖を斬る」の語源となりました。

この戦いでは、孔明の策によって姜維(きょうい:後の大将軍)を魏から配下に加えることに成功しています。

 

 

南蛮軍と蜀軍の戦いに出てくる魏延(ぎえん)と馬岱(ばたい)、楊儀(ようぎ)です。

魏延は早くから劉備に仕え、劉備亡き後も蜀の中心的武将として、孔明の最期の五丈原の戦いにも同行していましたが、楊儀と合わず反目し合っていました。

楊儀は、孔明の幕僚として北伐時には重要な任務を担当しましたが、後に失脚し自殺した人物です。

西暦234年、諸葛孔明が五丈原で魏との対峙中に病死すると、楊儀が中心となって全軍を撤退させました。

しかし、魏延はこれに従わず、逆に蜀を裏切り楊儀を討とうとしましたが、他の諸将らが孔明の遺命に従って楊儀に味方したため、魏延は息子達と漢中に逃亡を図りました。

逃亡の途中、楊儀の命を受け追跡した馬岱によって斬り殺されました。

このあたりのことは、正史三国志にもあり、絵本通俗三国志には挿絵付きで詳しく書かれています。

馬岱は、馬超の従弟です。


馬岱


蜀 平北将軍 馬岱

馬岱は、馬超の従弟です。

魏延

蜀 使持節 前軍師 征西大将軍 領涼州刺史 南鄭侯 魏延

魏延は、262話で宋書「倭国伝」のワカタケル大王(雄略天皇)との官位の比較で書きました。

雄略天皇と同じ頃の人物ということもあって、個人的には三国志の人物には何か親しみを感じます。


この項おわり

次は魏の曹操と許褚、典韋の予定です。