今回は、魏の代表的な武将である曹操と許褚(きょちょ)です。

次話で紹介する典韋(てんい)と許褚は、大ボス「曹操」の最側近といわれています。


さて、曹操は言わずと知れた魏を興した三国時代最大のヒーローなのですが、作者の「羅漢中
(らかんちゅう)」に嫌われ三国志演義(通俗三国志)で敵役というか悪役にされてしまい、ねぷた絵では主役になることがありません。

馬超に追いかけられている絵は、276話で紹介したとおり三国志演義のフィクションで、実際の曹操(曹操軍)はもっと強かったようですし、曹操は文武両道だということで最近は再評価されています。

2009年に発見され、2018年に曹操のものと断定された陵墓の発掘により、死因は悪性脳腫瘍だったと以前書きましたが、身長は155㎝ととても小柄だったようです。

この陵墓からは、卞皇后(べんこうごう:曹丕の母)と劉夫人の遺骨も一緒に発見されています。

曹操 (2)

一口に魏・呉・蜀といいますが、魏の曹操の下には呉や蜀とは比べものにならない多くの人材が集まりました。

実際それだけ力があったのだと思います。

曹操については、このブログ218話に詳しく載せています。


曹操

魏帝 曹操

 


次は、ねぷた絵の登場人物の中でも最も人気のある一人、曹操の側近「許褚」です。

許褚は、慎み深く、誠実で無口、身長約184cm・腰周りが約120cmと大柄で、武勇と力量も人並み外れていたと伝えられています。


許緒

魏 武衛中郎将 許褚

 

当時の軍隊における位は、大雑把に「都督→将軍→中郎将→校尉→都尉」と覚えておけば大体間に合います。

中国の官位などは、複雑で覚えられないので、校尉は中央における高級武官の名称、都尉は地方における高級武官、守備隊・警備兵の隊長と理解しています。

なお、位の前に付ける呼称(許褚の場合の「武衛」)は、何かしら特段の働きがあってそれを称て付加するものです。


許チョ勇戦図

許褚勇戦図

つづく

次回は、魏の典韋、曹洪、郭淮の予定です。