今回は、袖絵に「松」を描いた昭和30年前後のねぷたです。


今回紹介する最初のねぷたは、当時の運行状況が良くわかるようにトリミングなど画像処理をしないでそのまま掲載します。

それにしても昔のねぷたは、薄暗い中の運行ですが観客の数がビックリするほど多く、現在のようにねぷた本体を回転したまま運行したり、さらには変に折りたたんだりしておらず、こういうねぷたねぷたしている本来の姿を見るとさっぱりします。

 

さて、現在でも袖絵に松を描いたねぷたがありますが、今回紹介する二台のねぷた袖絵は手

本になります。


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吉崎微笑先生の弘前市上和徳町会と現在は無くなりましたが㈱弘前米穀との合同ねぷたです。

このねぷたの袖絵は、おそらく弘前公園の松と桜をイメージして描いたものだと思います。

昔よくみかけましたが、見送り絵の周囲の「雲」と「つた」の位置を逆にしているのにお気づきでしょうか。

最近は、画一的なねぷた本体の骨組みが運行審査、奨励金等に影響するのでこの手のねぷたは皆無になりました。

 

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弘前市上土手町旧赤湯付近 ナヌカビのねぷた

袖絵に字を入れる為に、松の枝を工夫して描いており、先生に生意気だと叱られると思いますが、さすが竹森節堂先生です。

松と見送り絵、袖絵に描かれた書のバランスがよく秀作だと思います。

特にこのねぷたは、見送り絵のスペースを大きくとっていいて、竹森節堂先生が後にもう少しつぶし気味に左右に広げ現在のねぷたの形にした「節堂ねぷた」のはしりのような骨組みです。

袖絵部分の文字は禅語「天高群星近(てんたこうしてぐんせいちかし)」で、意味は「天は高く晴れて無数の星がとても近くに見える。宇宙の全部が毎日群がって生きている。日々の生きる喜びを感じる情景である。」です。

見送り絵は、上記2台とも小枝繁作、葛飾北斎挿絵の「小栗外伝」の「藤浪(ふじなみ)」です。


この「藤浪」は、竹森節堂先生が早くから見送り絵にしており、私が一昨年取組んだ津軽デジタル風土記で改めて紹介しているので、気になる方は下記のURLからどうぞ。


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https://tsugaru-fudoki.jp/neputae/07fujinami/

元絵 小枝繁作 葛飾北斎挿絵 小栗外伝 「藤浪」

 

袖絵に文字を入れる時は、「文字が主役で絵は引き立て役、文字を書いてから絵を描く」という不文律みたいなものがありました。

書家は背景の図柄を確認して書き上げますが、漢詩や漢文を選ぶのが慣れないと大変だと書家の先生(弘前市城西の葛西先生)が話してくれたことを思い出しました。

何度か書家が書いている現場を見学させて頂きましたが、長谷川先生の奥様から字(書いた文字の内容:漢詩が多い)に似合う背景の話をして頂いた記憶が残っています。

奥様は、書をはじめ篆刻にも造詣が深く、先生のねぷたの「牡丹・唐花・雲・蔦」を一手に引き受けておられました。

基本となるものはありましたが、「達温ねぷた」の「牡丹・雲・蔦」のデザインが毎年変わっていたことをご存知でしょうか。

ねぷたを描く方ならわかると思いますが、これは真似しようと思っても、なかなか真似できるものではありません。

つづく

次回は袖絵に山水を描いたねぷたの予定です。